もう見られないであろう水没地区における史跡

御母衣ダム建設で水没してしまった荘川町の地区は、岩瀬・赤谷・中野・海上・尾上郷の五地区、そして白川村の地区が秋町・尾神の二地区の合計七地区が湖底の下になりました。この七地区には多くの史跡や名勝があり、それぞれ由来や伝承があったはず・・・それらを可能な限り絞り出したいと思います。

中野村と周辺地区の史跡旧跡について

中野村と周辺地区の史跡旧跡について
                               2012 H24 12 09
 現在、白川郷にある城砦館跡を調べるなかで、御母衣ダムの湖底に水没した地域に数々の史跡旧跡が眠っています。この水没地域と周辺の史跡旧跡などを紹介します。
 荘川町牧戸から北に、牛丸―岩瀬―岩瀬字<下滝>―中野―海上―尾上郷―赤谷字<落部>―赤谷―赤谷字<和田>-、白川村尾神―福島―牧―御母衣―御母衣字<上ヶ洞>-長瀬字<秋町>-長瀬字<貫見>-長瀬地区があります。<>内が小字名になります。岩瀬地区の小字が<下滝>地区で、赤谷地区の小字が<落部>地区と、<和田>地区で、御母衣地区の小字が<上ヶ洞>地区です。御母衣ダム建設による水没地区は、岩瀬<下滝>・赤谷<落部><和田>・中野・海上・尾神・福島の6村で、一部水没地区は牛丸・尾上郷の2村です。御母衣ダム堰堤は牧地区にあります。
 荘川町牧戸地区―向牧戸城址、仮称牧戸砦跡があります。現在、向牧戸城址、仮称牧戸砦跡とも見ることができます。
 牛丸地区―そふ谷吊橋、牛丸ジュラ紀化石、七間飛吊橋、船橋谷橋があります。これも現在、見ることができます。(写真最下部にあり)
 岩瀬地区―ブラ橋、岩瀬金山跡、古戦場跡、日照開拓地、金生神社跡、八人塚・千人塚跡、岩瀬旧光輪寺跡、旧岩瀬橋跡、矢箆原家(岩瀬佐助)跡があります。現在、岩瀬金山跡、八人塚・千人塚跡と岩瀬旧光輪寺跡の場所がよく分かっていません。現在も同地区でお話を聞くことができれば岩瀬金山跡や古戦場跡、八人塚・千人塚跡、岩瀬旧光輪寺跡、旧岩瀬橋跡の場所や云われを知ることができたことでしょう。
岩瀬小字<下滝>地区―下滝の若山家跡があります。
 中野地区―河合重エ門代官屋敷跡、石徹白彦衛門屋敷跡、中野御坊照蓮寺跡、嘉念坊善俊墓所跡、牛の池、光輪寺跡があります。これらはどれも水面下のため、立つことができません。
現在も同地区でお話を聞くことができれば、河合重エ門代官屋敷跡、石徹白彦衛門屋敷跡の伝承を知ることができたことでしょう。
   

 海上地区―比丘尼屋敷跡、聖殿碑跡、日崎城跡跡、獄門場跡があります。これらも水面下のため、立つことができません。現在も同地区でお話を聞くことができれば、比丘尼屋敷跡、聖殿碑、日崎城跡、獄門場跡の伝承を知ることができたことでしょう。
 尾上地区―平家岩屋、鍛冶跡があります。これらの場所は不明です。
 赤谷小字<落部>地区―山中に落部金山跡があります。位置は未確認です。
赤谷地区―赤谷城跡があります。見ることができます。
 赤谷小字<和田>地区白川村尾神地区―のまみ(野間見)と呼ばれた場所や沼江長九郎家跡があります。これらは水面下のため、見ることができません。「沼江の長者」という伝承が残っています。
 福島地区―福島歩危、福島城郭跡があります。これらも水面下のため、見ることができません。
 牧地区―御母衣地区―遠山家があります。現在、旧遠山家民俗館で見学できます。
 御母衣小字<上ヶ洞>地区―八人塚があります。
 長瀬小字<秋町>地区-七人塚跡があります。御母衣ダム工事で粘土を採取した場所で地形が変わっていますし、現在水面下のため見ることができません。
 長瀬小字<貫見>地区-長瀬地区―さて、現在水没している史跡旧跡は? 
 古戦場跡、旧岩瀬橋跡、河合重エ門代官屋敷跡、石徹白彦衛門屋敷跡、中野御坊照蓮寺跡、嘉念坊善俊墓所跡、牛の池、中野光輪寺跡、比丘尼屋敷跡、獄門場跡、聖殿碑跡、日崎跡、沼江長九郎家跡、七人塚、福島歩危、福島城郭跡の計16の史跡旧跡が水中に没しています。これらは現在、見ることができたなら歴史散策コースになっていたことでしょう。
御母衣ダム湖左岸(西)道路、荘川桜前の国道156号線の海抜が約760mで、水没前の中野地区照蓮寺前の道路の海抜約721mで高低差は約40mあります。
もし、現在も水没することなく人々の暮らしが続いていれば、祖先から受け継いだ家を守り、親から子へ子から孫へ伝わる昔話しや、地元の伝承など途絶えることなく現在も知ることができたことでしょう。

現在水没している、岩瀬・赤谷・中野・海上・尾神・福島地区の水没前の風景は、国道158号線の荘川町牧戸~新渕地区を走行した田畑があり、川があり、道路があり、家々がある山あいの見慣れた風景だったことでしょう。
 ・・・・・・・・・・
 

以上の報告書はひで氏の執筆です。