噂の埋蔵金(埋没金)


◇帰雲城と言えば、やはり埋蔵金伝説でしょう。 噂の域を出ませんが人によっては5000億円〜最高2兆円(2兆円はありえないでしょうけど)。 ですが帰雲城の場合は赤城山の埋蔵金などとは違って秘匿目的ではなく災害で埋まってしまったわけですから、正確には埋没金です。

 

 埋蔵金とはWikipediaによれば、

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所有者が回収を予定した秘匿目的で一時的な保管ののため埋納されることがあるが、戦争などの混乱や盗難によって失われるなどして回収が不可能になり、いつの間にか行方不明となることがある。このように失われた財宝のうち、未だ破壊されずに存在しているもの、あるいはそのように考えられているものを埋蔵金という。

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とあります。 実際、帰雲城の所はちゃんと「埋没金」と書かれています。

 


埋没金はあるのか?


◇では、帰雲城には本当に相当量の金があったのかどうか? なんて私にもわかりません。 現在のように金鉱石を採掘して金を採る方式ではなく基本的な砂金を採っていたと言われています。 作者も数年前、内ヶ嶋氏が持っていた金山の一つ「六厩金山」跡に行って仲間と砂金採りに挑戦したことがあります。(結果は散々でした。^^;)

 

 戦前までは陸の孤島と言われたこともある白川郷、収益の上がるような産業があったかどうか? 林業はともかく農業ではとてもやっていけないであろうことは容易に想像ができます。 内ヶ嶋氏は城も牧戸城や荻町城、帰雲城も築城していますし、照蓮寺(後に何度も出てくる一向宗のお寺)という寺の造営も何度か行なっていてその財源を年貢等に求めるのは難しいと考えます。 その財源を”金”に求めることは間違いではないと思います。

 

 噂ではありますが、あの銀閣寺の造営資金に内ヶ嶋氏の金が使われたという話もありますし本願寺に対して相当量の金を融通していたのではないか?とも言われています。 さらには天正地震の起こる天正十三年夏、金森軍に降伏して所領安堵を勝ち取るために、ここでも相当量の賠償金を支払ったのではないか? 金森長近が内ヶ嶋氏を情状酌量としたのは産出する金が目的だったとの噂もあります。 

 

 以上の理由から帰雲城に金があったか? と言われれば、「あるはず!」と答えたいと思います。 しかしながら2兆円はありません。。。